AIでなくなった大事な人を「再現」するという行為について、個人的な考えを纏めてみた

2022年頃よりAI関連の技術が急激に進化し、「亡くなってしまった人を擬似的に復活させる」ことも可能な時代になってきました。某有名ガジェットサイトのライターさんがガンで亡くなられてしまった奥さんをAI生成された画像で再現するという記事も読んでいますし、気持ち的にはかなりわかる部分も多いので、かのあゆ個人としての考えを纏めておきたいと思います。

大事な人をAIで再現するという行為そのものについて:遺族の意向も確認する必要はあるが、個人的には問題ないと思う

Chat GPT、Stable DiffusionなどのAI技術を駆使して既にこの世を去ってしまった故人を再現するという行為自体は個人的には問題ないと思っていますし、なんならかのあゆも可能であれば今でも大好きな母や叔父、祖母・祖父、プライベートのことも親身に相談してくれた知人に会いたいと思っているので、気持ち的にはかなり共感できます。というか出来れば今でも“本人”に会いたい。大好きだから・・・

もちろん人それぞれ考え方は違うでしょうし、「亡くなった方への冒涜だ!」と言われる方も中にはいるかと思われますが、かのあゆ個人の意見としてはなくなった故人を偲ぶという思いは変わらないと思っていますし、冒涜でも何でもないと考えています。

ただし残された人の中には「AIで大事な人を再現してほしくない、冒涜された」と感じる場合も当然あるでしょうし、そういった意見は尊重されなければならないと思っています。

亡くなった人そのものか:いくらAIがもっと進化しても本人ではない

ではAIで声も姿も完全に再現した場合、亡くなった人そのものになるかと言われれば絶対違いますし、あまり正しい表現では無いかもしれませんが、代用になることもないと思っています。

その人“本人”を構成しているのは想い出や経験を積んできたからであって、いくら過去のリソースを集めて忠実に再現したとしても、それは本人そのものではありませんし、過去のデータから声や言動を再現しているだけにすぎません。

そういう意味では昨年10月にリリースされたThe Beatles“最後の”新曲、Now And Thenが当初「AIでジョンやジョージを再現する」と聞いたときは「ポールもリンゴもズッ友だったジョンやジョージをAIごときが再現できると思っているのか!?そんな薄情だったのか!?」と失望しかけてしまっていたのですが、実際にはそうではなかったので安心しました。

どんなにAIで再現できても本人はもういない。

今後AI関連の技術はもっと進化するでしょうし、よりリアルに亡くなった人を再現することも可能になっていくでしょう。

想い出をつなぐという意味では決して気持ち悪いとは感じませんし、それだけ今でも大事に思っているということでもあるので素敵なことですが、「それ」を本人そのものにしようとするのであれば、それこそ故人との想い出を愚弄しているだけにすぎないのでやめてほしいと思っています。

経験や記憶はどれだけAIが進歩しても再現できるものではありませんし、再現されたものはあくまで過去の情報から構築されたものに過ぎないので、悲しい話ではあるのですがもう「未来」を一緒に歩むことは出来ないのです・・・

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